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色々な進化論  写真をクリックして、真ん中の三角をクリックするとスライドショーになります。











































無神論者が森林浴の散歩としゃれこむ。 取り囲む自然は進化の過程で偶発的に出現したもの、
その素晴らしさにウットリ。 
「どれもこれもなんと美しい生き物なんだろう!」と進化論信奉者は自説を曲げない。 
川に沿って歩いていると背後の藪の中からガサガサという物音。 
振り返って見ると、2メートルを超す灰色熊が向かってくるところだ。 
無神論者は一目散に駆け出した。 肩越しに様子を窺うと熊は追ってくるではないか。 
更に速度を上げたが、恐ろしくて涙が出てくる始末。 
再び後ろを見てみると熊は距離を縮めてきていた。 
胸の鼓動は気も狂わんばかりの高鳴りだが全速力を一層振り絞る。 
となると、無理がたたってつまずくものだ。 転げてしまった。 
回転してから起き上がろうとしたものの、既に熊が上からのしかかって来ている状況。 
左の前足で掴もうとし、ぶん殴るために右の前足を振りかざしているところだ。 
この瞬間、無神論者は無意識に「オオー、神様!・・・」と叫んでしまった。

時間が止まった。

熊は寸分の身じろぎもしない。

森は静まりかえった。

川の流れさえ停止である。

一筋の光が無神論者に降り注ぎ、天から声が聞こえて来る;「ここのところズーっと汝は我が存在を否定しておる。 
私など存在しないと高言してはばからないうえに、我が天地創造を宇宙の偶発的な出来事だとぬかしておるであろう。 
さてそこで、この窮地から逃れるのに我が助けを汝はお望みかな? 
信仰を持つ者として汝を数の中に入れるべきであろうか?」
無神論者は光の中までジカに覗き込んで答えた;「今日までの私の人生を考えると、今更ここでクリスチャンになろうものなら、
それこそ偽善になってしまうでしょう。 しかし、考えられる筋としては、熊をクリスチャンにすることは可能ですよね?」

天の声;「よろしい、了解しよう。」

光は消え去った。

川は再び流れを取り戻す。

森の中の様々な物音が復活した。

こうして場面が再開する。 熊は振り上げた右前足を静かに降ろした・・・両前足で合掌する・・・
頭を垂れて祈りを捧げた;「主よ、授けたもうたこの食事に対して、吾は心より感謝を捧げ奉る。」

アハハ。 クリスチャンになった熊は食前の祈りをしたのだ。 
せっかく神様に会ったのだから素直に無神論を撤回すればよかったのに・・・。 
無神論者としての節操を貫いた積もりであろう。 それはそれで見上げたものだ。 
ここが我が宗派「無関心論者の集い」とは違うところ。 この宗派では、
神様を人間が規定するという不敬・不遜を徹底的に避け、
神様を「完全なる他者=das ganz andere」として扱う。 
従って、日常生活では神様に対して無関心にならざるを得ない。 
神様との交流は、このジョークの場面のように、
「苦しい時の神頼み」の時だけに成立するというもっとも解かり易い解説を行っているのだが、
残念ながらなかなか普及しない。 
イデオロギーという遊び道具が無くなった以上、21世紀は間違いなく、
民族対立とともに宗教対立が激化する世紀である。 
大悲劇が起きないうちに、世界中が無関心論者に改宗することを切に願うのだが、風向きは逆風である。

さて、日本では理科の授業でダーウィンの進化論が出てくるのは極く当たり前のことなのだが、
キリスト教の教理と相容れないという理由で、アメリカでは未だに教えない学校もあるというから、
教育の内容も「所変われば品変わる」ものである。 
そうかと思えば、他国の教科書にケチをつける国々もあるから呆れたものだ。 
もっとヒドイのは、それを気にしてオタオタする輩がいるということだろう。 
何を考えているのやら、救い難い。 もっとも、ベストの選択は、教科書の検定などやめてしまうことに違いない。 
多分、文部省(名称変更したかな?)という省庁自体が不用だということに気が付く時代がそのうちやってくるだろう。







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